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米国における不法移民問題の示唆

2006年6月8日付『日本経済新聞』朝刊の国際面に、米国の不法移民問題についての記事(「米移民問題にどう対応:専門家に聞く」)が掲載されました。本稿では、当該記事に紹介されている米国での議論を見ながら、日本への示唆を考えます。

対立する2つの見解

この記事は、主にメキシコからの不法移民への対応をめぐって対立する2つの見解を紹介しています。それぞれの見解は下表のように整理できます。

表 米国における不法移民対策をめぐる2つの対立的見解
合法化を推進する立場取り締まりを強化する立場
受け入れの是非小売業や建設業では非熟練労働者が年間で数十万人必要。これは移民で埋め合わせるしかない。親族の受け入れも含めると移民数は未曾有の規模に達する。それを社会に融合させるのは困難。
受け入れの効果受け入れを増やせば不法入国の圧力が軽減されるので、国境警備の負担が楽になる。合法化すれば移民圧力が高まり移民数が急増するので、医療や生活保護で大きな負担を強いられる。
取り締まりの効果政府は過去20年間、不法移民の取り締まりを強化してきが失敗の連続。むしろ合法的就労の道を広げるべき。生体認証など新技術を駆使すれば効果的な取り締まりが可能。一時就労プログラムの導入も必要。
参考:「米移民問題にどう対応:専門家に聞く」『日本経済新聞』2006年6月8日朝刊.

以下では、両見解の主要な対立点である「受け入れの是非」、「受け入れの効果」、「取り締まりの効果」について少し詳しく見ていきましょう。

受け入れの是非:産業の担い手をどうやって確保するか

不法移民の合法化を推進する立場(以下「合法派」と記します)は、特定の産業における労働力とりわけ非熟練労働力を確保するため、移民の受け入れが不可欠だと主張しています。一方、不法移民の取り締まりを強化する立場(以下「取締派」と記します)は、大量移民の社会的融合の困難さを理由に、受け入れに否定的です。

日本ではいま、団塊世代の引退や少子化による労働力人口の減少等を背景に、製造業などにおいてベテランから若手への技術伝承が断絶するのではないかと危惧されています(コラム「人材育成からみる2007年問題」をご参照下さい)。また、いわゆる“3K”分野を中心に、若者がなかなか就職してくれないので担い手の確保に窮している産業が存在します。米国において移民労働力が特定産業の有力な担い手として重宝されていることは事実であり、この点で米国は日本にとっての先例と言えます。

日本では「外国人労働力の受け入れよりもニートなどへの雇用対策が先決」との論調が見られます。また、米国の取締派も主張しているように、移民には社会的融合という難題が伴います。よって、日本にとって移民(外国人労働力)の受け入れが最優先課題とは言えないかもしれません。しかしそれでも、日本の産業の持続的でバランスの取れた発展を実現する上で、移民の受け入れが有力な選択肢の1つであることは間違いないでしょう。

受け入れの効果:移民圧力は減るのか

興味深いことに、移民の受け入れがもたらす効果について、合法派と取締派は正反対の主張をしています。合法派が「受け入れを増やせば不法入国の圧力が軽減される」と言うのに対して、取締派は「合法化すれば移民圧力が高まり移民数が急増する」と述べています。いったいどちらが正しいのでしょうか。

米国では、これと似た議論が北米自由貿易協定(NAFTA)の締結直前にも戦わされました。このときNAFTA推進派は、下図に示されているような論理で、NAFTAが移民圧力の軽減に貢献すると主張したのです。

図 NAFTAの締結と移民圧力
NAFTAの締結と移民圧力
出所)Philip Martin, “New NAFTA and Mexico-U.S. Migration: The 2004 Policy Options”, Update: Agricultural and Resource Economics, Vol.8, No.2, Nov/Dec 2004, University of California

この図では、NAFTA締結からしばらくは貿易自由化で打撃を受けるメキシコの農業や製造業で失業が発生し、その一部が米国に流入します。つまり、NAFTAは一時的な移民増を生み出すということです。ところが、その後メキシコでは自由化による経済効果が徐々に顕在化して国内雇用が増えるので移民圧力が低下し、一時的移民増は減少に転じます(8年目)。そして15年目以降は、移民数がNAFTA締結前の予想水準を下回ります。

NAFTA締結(1993年)から約12年が経過しましたが、現在のところメキシコから米国への移民(とりわけ不法移民)が減る兆しはありません。それが、まだ一時的移民増の状態にあるからなのか、それともまったく違う理由によるのか、現段階では不明です。ただ少なくとも、貿易自由化を通じてメキシコ国内の移民送出圧力を低下させるという当初のもくろみが、さほど順調には実現していないことは確かです。

こういう現実を踏まえると、「受け入れを増やせば不法入国の圧力が軽減される」という合法派の見解はやや楽観的だと思われます。移民圧力に対する最大の影響要因は移民送出国自身の雇用吸収力のはずですが、それに直接働きかけているNAFTAでさえ、まだ見るべき成果を上げていないという現実を直視すべきでしょう。メキシコの失業者の半分を移民として受け入れるというならまだしも、受け入れ人数を多少増やす程度では、移民圧力を顕著に減らす効果は期待できないと考えられます。

仮に日本がこれから合法的な移民の受け入れ人数を増やすとしても、それが東アジアを中心とする移民圧力の低下につながるなどという楽観的な見通しを持つべきではありません。むしろ、門戸を開放すればするほど移民圧力が強まる可能性の方が高いでしょう。

取り締まりの効果:一時就労プログラムの有効性

合法派は、これまでの米国の不法移民取締策はことごとく失敗してきたので、これからはむしろ移民を管理しつつ受け入れるのが合理的だと主張しています。実際、米国はメキシコと長い国境線をはさんで隣接しているため、国境警備だけでも膨大なコストと労力がかかります。その点、周囲を海に囲まれている日本は、水際での不法入国阻止に適した条件に恵まれています。

注目すべきは、米国の取締派が一時就労プログラム(一定期間の就労を認めるが、期限が来たら本国に帰ることを義務付けること)の必要性を指摘していることです。永久に受け入れることはできないが、いつか帰国してくれるなら話は別だということです。取締派も米国産業の担い手として移民が有用であることを認識しており、いわば合法派との折衷案として一時就労プログラムを提唱しているものと推測されます。

実は、日本では既に一時就労プログラムが広範な産業で実施されています。ただし、正確には“就労”ではなく“技能実習”という名目で行われているのが現状です。財団法人 国際研修協力機構(JITCO)が実施している研修・技能実習制度がそれであり、アジアを中心に各国から実習生を最長で3年間受け入れ、実習終了後は本国に帰します。このプログラムの趣旨は、日本で優れた技能を習得した外国人が母国でそれを活かして活躍することにありますが、日本の国内産業の人手不足を補う手段として機能していることも事実です。ある意味で日本は米国よりも先進的なプログラムを導入しているのであり、その拡充・発展がもっと検討されてよいと思われます。

アジアには日本の技術やモノ作りの真髄を学びたいという人々がたくさんいます。そうした人々を受け入れて生産現場で実地に育成することは、送り出す国の利益になることはもちろんですが、受け入れる側(日本)にも様々な恩恵を与えてくれるはずです。例えば、多くの日本企業はアジア各国に生産拠点を置いていますが、現地で有能な技術者を確保することに苦労しています。もし、日本で技能実習を受けた人材が現地にいれば、これほど助かることはないでしょう。また、日本での実習を終えた外国人に対して、一定の要件を満たすことを条件にそのまま日本で就労することを認めれば、国内産業の担い手不足の解消に一定の効果があるでしょう。このような、いわば互恵的な人材育成・活用システムを大規模に構築することができれば、日本は、米国がいま直面しているような不法移民問題にさほど悩まされずに済むかもしれません。

2006年6月30日
五十嵐 義明 (いがらし・よしあき)
※本稿は執筆者の個人的見解であり、弊社の公式見解を示すものではありません。
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